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  • Yuri Miyazaki

東京から長野へ移住して約1年。

住まい・アトリエ探しに何度も通ううち、高島浩さんという方に出会いました。

はじめは夫婦で一緒にお店をするつもりはありませんでした。

住まいとは別に良い空き家がないかなと両物件を探していたのですがこれだというものに出会えませんでした。それで、スタジオやアトリエは一時保留という形にしました。

そんな中、不思議なもので高島さんとは出会うべくして出会ったという感じで、私たちにとっては予想外の場所で、思ってもいないタイミングで高島さんによってその地とめぐり合ってしまったのでした。あまり迷いがなかったように思います。直感には勝てませんでした。

気づいたら私たち夫婦はその場所でやるんだ、と覚悟が決まっていました。

そんな出会いから初めてセルフリノベーションを体験、暑かった夏を超え、ついに完成・オープンを迎えました。

高島さんも初めてこの場所を発見した時、直感だったと言います。

その出会いの経緯を彼の書いた文章にて以下にご紹介させてください。

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ちょうど今から四年前のこと。

一年間の海外生活から帰ってきたばかりの僕は、いく日もまちをぐるぐると徘徊していた。 「自分が生まれ育った須坂という場所は、どういった所なのか」を改めて見つめるために。 そして、ここにしか存在しない〝光る何か〟はないだろうか・そう思いながら、自転車をこぎ、靴底を減らした。

ふと、建物と建物の隙間に伸びる小さな道の前で足が止まる。 どう見ても、人の家の勝手口に通じるような、特定の人だけの空気が漂う。

まっすぐな道ではなく、絶妙に曲がっていて、その行き着く先が見通せない。

〝何か〟があると直感した。

自然と足が動き、道の奥へと進むと、一つの世界が広がっていた。

四軒の廃屋がギュッと肩を寄せ、雑草に覆われた道を囲んでいる。

感動で思わず声が漏れたのは、この瞬間くらいしかないかもしれない。

冗談ではなく、十分以上はそこに立ちすくんだ。

「この場所は絶対に面白くなる」

そう確信した僕は、ここですべきことを模索しながら四年間過ごしてきた。

友人や家族に話したけれど、いまいち共感されず、ときには狂人としての眼を向けられたこともある。

けれど僕には見えていた。

「どれだけ思っていても、行動しなければ、それは思っていないことと一緒」 と、基本的な考えがあり、まずはリスクを負ってでも自分が始めるという一歩は決まっていた。

大家さんを探し、履歴書とプレゼン書を持って、一軒ずつ突然訪問。 最初は「何者だ」という驚きの面持ちも、次第に耳を傾けて下さった。

幾度も銀行にも通った。 そこは、一般のイメージとして刷り込まれた「冷たい」という温度ではなかった。金銭的だけではない応援をいただいた。

たくさんの人の力を借りて、一軒目の自らの拠点「KINU」を作り上げたのが今年の二月。第一歩。ここまでは僕自身の我武者羅。

けれど、次のステージは大きく違う。

残りの三軒も、それぞれ異なる魅力的な〝何か〟が当てはまることで、初めてその真価が発揮されるはず。

ということは、魅力的な〝何か〟を動かせる、〝誰か〟を招き、現実に起こしてもらわなければならない。

ある日、偶然に出会った 宮崎 純一 (Junichi Miyazaki)・宮崎 友里 (Yuri Miyazaki)夫妻。 人間性に溢れ、素晴らしき心を持ち、そして他にはない〝何か〟を生むことのできる彼ら。

そんな二人に写真館・刺繍絵アトリエショップの話をいただいたのが、まだ寒い今年の三月。

この人たちと一緒に次の階段を登ってみたいと思った。

多くの時間を共にして、ほぼ自力で改装。荒さは垣間見えるけれど、どこかの模倣ではない、ここにしかない空間に間違いなく仕上がった。

宮崎 純一 (Junichi Miyazaki)さんがシャッターを切る、写真館「一顆」。宮崎 友里 (Yuri Miyazaki)さんが刺繍で彩る、刺繍絵アトリエショップ「りり」として名付けられた二軒目。

二人が佇むに、世界で一番相応しい場所が出来上がった。

僕だけの力では到底辿り着けなかった風景が広がり始めている。

誰にも見向きもされなかったものが、その価値が変化し、輝きを放つ瞬間を、一人でも沢山の方が眼にしてくれたら嬉しい。

そんな場所が9月8日に始まります。 皆様のお越しを心の奥底より、お待ちしております。

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